沿革
ハグルマ株式会社
ハグルマ株式会社(旧社名 関西食品株式会社)は、昭和44年5月堺市浜寺石津町に羽車ソース株式会社と三ツ矢ソース株式会社が生産合理化のため設立し、三ツ矢ソースの製造販売一切を継承した会社である。当初は羽車ソース株式会社にソースの製造を委託し販売に重点を置き、営業開始した処、予想以上の成績を上げ続け3年後の昭和47年1月現所在地に3,960m²の土地を買い入れ、トマトケチャップの製造販売及びソース原料の処理工場建設(建坪668m²)に着手、同年7月完成を見、創業す。
その後事業も発展の一途を辿り、昭和51年1月ソース類製造工場並びに倉庫(建坪640m²)を増建設し、同年3月姉妹会社である羽車ソース株式会社と合併。
平成14年4月、ハグルマ株式会社に社名変更し現在に至る。
昭和44年 5月 | 堺市浜寺石津町中2丁200に会社設立す。 |
昭和47年 1月 | 和歌山県那賀郡打田町西三谷717番地にトマト加工工場を建設(トマトピューレー・トマトケチャップ)製造に着手。 和歌山県一円にて生トマト契約栽培にも着手。 |
昭和47年 8月 | 資本金600万円に増資。 |
昭和47年10月 | 本社を堺市より和歌山工場所在地に移籍。 (現所在地) |
昭和48年 3月 | 資本金を2,000万円に増資。 工場を増設し、農産加工(オニオンピューレー・トマトピューレー等)に着手。 |
昭和51年 1月 | 工場を増設しソース類、焼肉のたれ等の製造を開始す。 |
昭和51年 3月 | 羽車ソース株式会社と合併し、資本金3,200万円になる。 |
平成元年 9月 | 本社事務所、研究室を増設。 |
平成 2年 4月 | 資本金を4,800万円に増資。 |
平成 2年10月 | 本社工場を増設。 |
平成14年 4月 | ハグルマ株式会社と社名変更する。 |
平成16年 2月 | 北倉庫増設。 |
平成18年 1月 | 南倉庫増設。 |
平成21年 1月 | 桃山第2工業団地取得。 |
平成23年 2月 | 桃山工場増設。 |
平成26年 4月 | 桃山工場内に事務所移転。現在に至る。 |
羽車ソース
羽車ソースは明治37年に大阪市南区九郎ヱ門町にて中野商会として発足、当時はソース製造業と共に洋酒、食料品の大卸業として日本全国及び中国大陸方面にも多量に販売していた。
昭和 9年 4月10日 | 大阪市浪速区西円手町に羽車食品工業株式会社を設立。 |
昭和20年 3月14日 | 戦災に依り本社及び3工場を共に失う。 |
昭和20年 9月 | 本社工場を堺市浜寺石津町に求めウスターソース類、トマトケチャップ製造復興再建に着手日ならずして戦前以上の発展を見るに至る。 |
昭和28年 4月 | 羽車ソース株式会社となる。 |
昭和51年 3月 | 関西食品株式会社と合併する。 |
三ツ矢ソース
三ツ矢ソースは明治27年2月創業、大阪市西区新町通り4丁目にて越後屋産業として発足する。当時はソース製造と共に洋酒(ウィスキー・ブドウ酒)香辛料の製造販売する。
大正 9年 1月 | 合名会社越後屋商店とする。 |
大正11年 4月 | 大阪市大淀区豊崎西通り2丁目に工場を移転し又、安東(中国)に工場と支店を設置するに至る。 |
昭和 9年 3月 | 株式会社越後屋商店としその後順調に発展するが、戦災にて本社、支店、工場を消失する。 |
昭和20年 9月 | 本社工場焼跡に復興し、ソース、香辛料の製造並びに全酒類の卸業として発足。 |
昭和36年 8月 | ソース工場を東淀川区元今里北通り4丁目に移転と同時に資本金1000万円とし、三ツ矢ソース株式会社に変更する。 |
昭和44年 5月 | 生産合理化の為、関西食品株式会社に三ツ矢ソースの製造販売一切を委託する。 |